中部地区英語教育学会岐阜大会に参加しました。

6月30日(土)7月1日(日)に中部地区英語教育学会岐阜大会がじゅうろくプラザで開催され、今年も参加してきました。今年は自由研究ではなく、はじめての課題別研究プロジェクトの部門で共同で(というにはあまりにも申し訳ないほど助けていただきましたが)発表させていただきました。研究方法を考えるという点で、きっと他の誰でもなく僕自身が各先生方の発表を聞いて勉強になりました。もちろんそれまでの事前打ち合わせでもたくさんの情報をいただきました。

さて、学会の醍醐味といえば、色々な研究者の最新の発表が聞けるということもありますが、様々な人との出会いも大きな醍醐味の一つです。今年は学会前夜からツイッター上で交流させていただいている先生方と一緒に食事をしたりお話をしたりできる機会があり、とても有意義な時間を過ごすことができました。また、一日目の発表後の懇親会でも新たな先生との出会いがあり、大いに刺激を受けました。このブログもおかげさまで四年近く続けており、そのおかげで「ブログ見てるよ」「ツイッター見ているよ」というお話をきっかけに盛り上がることもありました。学会に参加するたびにやる気をもらって帰ることができています。今年も例年同様、学会後から研究に対する意欲が増し、この気持ちをずっと継続して持たなくてはいけないなと感じています。

地元の大学の学生さんとも交流させてもらうことができました。その場でもよくお話に出てくるのが「学会に出るなんてすごい」という言葉。僕は「すごい」という意見に対してはあまり賛成していません。最初の一回は勇気がいりますが、一回してしまえば、発表までの流れ、労力、そして発表後の達成感がどのようなものであるかという一つの基準を作ることができ、結果として二回目発表する時には一回目ほど、不安にはならないと思います。

僕は中部学会では何度か発表させていただいており、緊張こそしますが、発表すること自体がすごいことだとは思わなくなりました。というのも、実は発表すること自体が自分を鍛えることであり、発表することで得られるものは単に他の先生方の発表を聞いているだけよりもはるかに大きいと思っているからです。「質疑応答で答えられなかったらどうしよう?」と考えたり、「失敗したらいやだ」という気持ちになったりするのも分かりますが、答えられないような質問を受けることで、その場では答えられなくても、その問いが今後の自分の研究や実践に意味をもつ問いになるかもしれません。そう考えると質問してくれた方にむしろ感謝したくなると思います。また、「失敗したらどうしよう」についても、そもそも「失敗」ということ自体がないと思います。あるのは「経験」であり、自分の発表の中でまずかったところ、反省するべきところは謙虚に受け止めて反省し、次に生かせばいいだけだと思います。

ですので、地元の学生さんにもどんどん学会に発表する勢いがほしいなと思っています。最近は他大学院の院生さんとメールさせていただくこともあるのですが、彼らは本当に熱心で勢いがあります。また、学会に参加されている大学の先生方を見ていても本当に博識で、「一体この人はどれだけの量を読んでいる、または読んできたのだろう」と考えさせられます。現場で教えている自分が院生さんや大学の研究者の方々と同じ量の時間を研究に費やすことは不可能ですが、勢いに負けないように研究していきたいという気持ちでいっぱいです。

次は来月開かれるJASELEに参加します。こちらまであと一ヶ月ですが、自分のできることを悔いなく行ってから参加できるようにがんばろうと思います。

福井県英語教育懇話会6月例会

昨日上記の研究会が開かれ、今月は僕が発表させていただきました。まだ未完成のデータを持っていってしまったことは猛省しなければなりません(学生さんは決して真似しないでね)が、それにもかかわらず多くの先生方からたくさんのアドバイスをいただくことができました。ありがとうございました。

途中からモデルの使用方法やその是非についての議論になり、現場でのモデルの使用に対して考えるところがありました。昨日もちょっと考えたことを述べさせていただきましたが、現場での経験上、モデルを先に与えてしまってから表出活動を行う場合と、表出活動後にモデルを与える場合とでは学習者の中で起こる認知プロセスにかなりの違いがあると思われます。モデルを先に見てしまうと、内容や言語形式がどうしてもそのモデルに縛られてしまうように思われますが、モデルを表出活動の後に与えることで、学習者は表出活動時に気づいた疑問に対してモデルがフィードバックの役割を果たす可能性が考えられるため、後から与える方が得るものが多いと思います。事はそんなに単純ではないとは思いますが、現場での一つの感覚として、多くの先生が同じような考えを持たれていたように思いました。

今回アドバイスをいただいた内容を踏まえて、まだ分析が終わっていないデータの分析とデータの解釈に全力を注ごうと思います。

〆切を何とか二つ終わらせ、当面の課題に全力を注ぐことができます。心理的な負担がかなり減ったので、先週以上に全力で走っていこうと思います。

福井県英語教育懇話会12月冬季シンポジウム

しばらくブログの更新が滞りました。

さて、今日は福井県の英語教育懇話会冬季シンポジウムに参加してきました。5人の発表者の先生方が音読について発表されました。どの先生方も工夫された音読の指導法を考えられていて、とても勉強になりました。

ディスカッション時に出たお話と個人的に考えたことをまとめて記録しようと思います。

まず、このシンポジウムで話題に上がったことが、なぜ音読をするのかをもっと深く考えなければならないということです。音読のさせ方のテクニックが先行するのではなく、音読をする目的を明確にし、その目的に沿った指導法を考えなくてはいけません。

次に個人的に考えさせられたのは、音読それ自体を目的としないということです。つまり、音読を目標とするのではなく、最終目標として何らかのoutcomeを設定し、そのoutcomeを達成させるためのプロセスとして音読練習をする、という考え方です。この場合、最終的な目標を達成するために音読するわけですから、音読をするための動機づけを高めているということになると言えるように思います。

個人的に思ったことが、音読のお話になると、英語の先生達は自分たちの印象で音読の効果について語る傾向があるように思います。もちろん教師の勘はとても大切だとは思いますが、音読の効果を検証するのであれば実際にデータをとってきちんと量的、質的に分析する必要があると思います。もちろん音読を扱った研究はありますが、まだまだ発展途上のように思います。

具体的には、

音読とは何を指すのか。音読の定義:shadowingや暗唱も音読とするのか

音読の回数、頻度について:1,2回音読してもあまり効果は見られないように思います。

音読の○○に対する効果:○○にはリーディング、スピーキング、速読、文法項目、語彙など

が最低限検証されるべきで、検証されたデータを基にもう一度音読の利点を考えていく必要があるように思います。