大西泰斗先生の講演を拝聴しました

9月27日(金)に東洋学園大学の大西泰斗先生、麗澤大学教授のポール・マクベイ先生の「コミュニケーション活動を中心とする授業の中での文法指導」と題した講演に参加しました。お二人は「ハートで感じる英文法」や「一億人の英文法」でとても有名な方なので、とても楽しみにしていましたし実際にとても面白く興味深い講演でした。

この講演で主張されていた内容をまとめると4つに分けられます。1つ目は、教える文法の種類を変える必要があるのではないかということです。近年話す力を養成することが求められているが、それをどのように達成してよいかが分かっていないという点が問題である。素人意見では「文法を忘れた方が英語を話すことができる」という意見すら見られる。しかし、会話を行うためには文法知識は必須である。ただしこれまで伝統的に学校現場で行われてきたような文法ではなく、話すためには話すための文法を教えるべきなのではないかという主張をされていました。

2つ目は語彙の「気持ち」を知ることの重要性です。「話すためには一つ一つの言葉が心に乗ってこないといけない」という流れからfineという単語の気持ち、助動詞のshouldの気持ちなど、講演者の著書でお話しされている中身が少し紹介されました。(お二人といえば「気持ち」だと思っていたので、このお話が聞けて面白かったです)

3つ目はfixed phrasesの重要性です。流暢な会話を行うためには、表出の全てを文法的知識を用いて一から組み立てていては成り立たず、例えば、”So you’re saying that ….” “The point I’m trying to make is that…”などの決まり文句を活用することが重要であるという指摘です。「会話は決まり文句だらけ」とおっしゃってもいました。言葉は違いますがBygateらも同様の主張をしていますし、これはなるほどなと再度気づかされました。

4つ目は、話す前には状況を想像し(imagine)感じてから(feel)話しましょう(speak)というお話。マクベイ先生が棒読みで”I’m sad (surprisedでもhappyでも)”と言っているのはよく考えるとおかしいんじゃない?と皮肉を交えて面白くお話しされていました。

僕は特に一つ目の、話すためには話すための文法が必要じゃないかという考え方が1番印象に残りました。コミュニケーション活動を重視する授業を行いながら教科書指導も行わなければならないのが中学校、高等学校の現場の実際だと思います。時にこの二つは二項対立的に扱われることもあります。二つを両立させようと思い、コミュニケーション活動と文法指導を組み合わせる手法を工夫することもありますが、言葉にできない違和感を感じていました。多分その原因一つは、僕の指導が「コミュニケーションのための活動」「文法のための文法指導」「教科書の指導のための教科書の指導」になっていたから、つまりすべての活動、指導が同じ方向を向いていなかったからかなと考えました。なぜ文法学習をするのか、なぜ教科書の指導をするのか、なぜコミュニケーション活動を行うのか、それらの問いの答えがすべて「英語を使えるようになるため」であるべきなのかなと思いました。そうなるとすべての活動や指導を行う前に「この指導(活動)を行うことで学習者は英語を実際に使えるようになるか」ということを常に考えていく必要があるのかもしれません。今回の講演はそのことに気づくことができただけでもとても有益でした。もちろん英語自体の勉強にも励もうと思います。

小学校英語教育のシンポジウムに参加しました。

本日2月3日福井大学にて「小学校の外国語活動における効果的で魅力的なインプットとは」という題目でシンポジウムが行われました。基調講演として、信州大学の酒井先生が英語教育に必要なインプットという題目でご発表くださいました。

先生の主張はシンプルかつとてもわかりやすいもので、学校現場の教師に多くの示唆を与えてくれました。今日のお話のポイントは以下のようなものでした。

1)アウトプットよりもまずインプットを与えること。

2)インプットの情報はauthenticなものを扱うこと。本物の情報を使うこと。

3)インプットは理解可能になるように与えること。そのためにはまず皆が知っていることでやりとりをする。皆が知っている事を同じパターンで何回かやりとりしていくと、インプットが何を表しているかを学習者は把握してくれる。インプットが理解可能になった時点ではじめて皆が知っているとは限らない事、皆が知りたい事を扱う。

この3点をベースにワークショップや具体例をたくさん示していただき、大変勉強になりました。上記のお話は小学校の外国語活動だけでなく、中学校、高校、はたまた大学においてもインプットを与える上での基本的な技術になるように思います。「英語の授業は英語で」と言われて久しいですが、単に教師が何でも良いから英語を話すのではなく、インプットを理解可能にするために必要な工夫をする必要がある、そのためのポイントとして上記の3点は攻守に関係なく当てはまるものだと思います。

さて、シンポジウム後一人で考えていたのですが、中学生以上を対象にインプットを与える際には、上記の点に加えて、インプットを受け入れようとする動機を如何に高めるかを考える必要があるように思います。教師が学習者の習熟度を考慮したレベルのインプットを行い、知的に面白い材料を扱おうとしたとしても、学習者にインプットを受け取ってもらわなければ何もスタートしません。学習者にどのようにインプットを聞くための動機づけを高めるか、どうしたらインプットを聞こうと思えるのか、別の言い方をすると、如何に学習者をノセることができるのか、いう点を工夫していく必要がありそうです。多分ノセ方もある程度パターン化というか一般化できそうな気がするんですよね。それはまた別のお話になるのでまた別の機会に・・・

もう一つ考えていたことは、以下のものです。今回のお話の中では、外国語活動ということもあり、その目標はコミュニケーション活動を体験すること、実際にコミュニケーションができた、英語が通じた!という体験を通して達成感を味わったり自信を養ったりするところにあるとのことでした。つまり、言語形式面の習得が目的とはされていないため、その点に注意を払う必要があります。 ほとんどの教師は日本の文法偏重の英語教育を受けてきたのではないかと思います。文法訳読、文法偏重の指導法の根底には英語を正しく使用する必要がある、といった認識があります。つまり英語使用=間違ってはいけない、という認識を意識的なり無意識的になりもってしまっていると思います。しかしながらコミュニケーションを行う上で完璧な英語を話す事はほぼ不可能ですし、話す必要もありません。誤りを含みながらもコミュニケーションを乗り切ることができる、課題を達成することができる、そしてコミュニケーションを乗り切ったり課題を達成する中で達成感を味わったり自信を深めていく必要になります。したがって教師は自分たちが受けてきた英語教育とは全く違う手法、考え方で外国語活動に望む必要があるということをよく覚えておかなければなりません。

「まとまった英文を書く指導」福井県英語懇話会冬季シンポジウムより

12月23日に福井県英語懇話会シンポジウムに参加してきました。今回は3名の先生方(中学校・高校・大学)が「まとまった英文を書く指導」についての実践を発表されました。大変刺激的で明日から(といってももう冬休みですが)でも使用できる指導法を提案され、勉強になりました。

中学校の先生からはまとまった英文を書く指導についての指導法をこれまでの実践からピックアップされて紹介していただきました。高校の先生からは各単元において要約を書かせるためにどのような指導を行ってきたか、大学の先生からはプロセスライティングを実際に行った手順や学習者の感想を報告していただきました。

先生方の発表を聞きながら自分なりに「学習者にまとまった英文を書いてもらうためにどのように指導できるか」を書いていきたいと思います。シンポジウムの段階ではmisunderstandしていた部分があるのですが、「まとまった英文」という時には、「ある程度のまとまった量がある」という量的な観点と「まとまりのある英文」という質的な部分の両方があることを最初に明記します。

「適切な」支援を行う
お題を与えていきなり「さあ書きなさい」では何を書いて良いか、どのように書いて良いか分かりません。「書く」という行為はあくまでも最終行為ですから、何を書くのか、どのように書くのかを適切に支援しないといけません。

英作文における「支援」というと、真っ先に思い浮かぶのは言語使用の正確さに焦点を当てた添削だと思います。いわゆるエラーコレクション(error correction: ER)ですね。ERが悪いとは 言いませんが、それ以外の支援が「まとまった英文を書く」ためには必要になるでしょう。

「まとまった英文を書く」という観点からは、言語形式面だけではなく、内容面(content)の部分を活性化させる支援と構成面(structure)の支援が必要だと思います。内容面に関してはマインドマップ、グループ・ディスカッション、教師主導のブレインストーミングなどがあると思います。構成面に関してはモデルを与えたり、パラグラフの構造を解説したり、フィードバックを与える(これは書いたあとになってしまうかもしれません)などの方法があります。いずれにせよ、内容面、構成面をきちんと学習者に準備させた上で「じゃあ書きましょう」ともっていかないと、力のある一部の学習者しかタスクを達成できないかもしれません。

ちなみの上記の添削については、ERだけではなく、ポジティブなコメントを添えることで学習者の自己効力感を刺激したり、内容面について「○○についても書き加えてみたら?」などというフィードバックを与えることも可能でしょう。添削については添削=ERではなく、幅広い支援ができることを常に覚えておく必要があると思います。

1つの英作文に誠実に向き合う
何回も書かせるということです。re-writingが重要だという意見はシンポジウム時にフロアの先生からも提案がありましたが全くもってその通りだと思います。通常まとまった英文を書く際に、量的にも質的にも満足できるものを一発で書くというのは相当の技術が必要とされます。

例えば僕は某学会でよく8ページの紀要を書いて投稿させていただいていますが、その際の8ページを一発で書き上げてそのまま投稿する、ということはまずありません。一度とにかく書いてみてあとはreviseの連続です。全国英語教育学会でOrtega先生もおっしゃっていましたが、reviseすることで論文が洗練されていきますし、reviseをどれだけ真剣に行ったかでその論文の質が変わっていくと思います。

教室内の英語教育とはちょっとずれてしまった例かもしれませんが、同じことは言えるのではないでしょうか。特に中学校や高校では授業の進度や教員の仕事量を考えると、同じ英作文を何回も書かせて指導するということは実践性という面においては難しいかもしれません。それでも教員も学習者も根気良く一つの英作文に向き合うことで量的にも質的にもまとまった英作文に近づけると思います。この考え方は大学の先生からの報告にもあったプロセスライティングの考え方と同じであると思います。

まとめ:基本的だけどやっぱり重要
上に挙げた支援というのは基本的なものであると同時にちょっとでも教えた経験がある先生だと当たり前のように知っている内容で、取り立てて書き出すものではないかもしれません。しかしながら、実際に授業で英作文を扱った時に上記の手法をすべて駆使して指導できる教師というのは稀であるように思いますし、僕もできていません(反省)。そういった意味では記事を読んでくださった方がもう一度自分の指導を振り返っていただけると幸いです。

余談ですが、個人的には英作文指導の研修をぜひALT対象に行って欲しいなと思います。彼らは英語に関しては一種のロール・モデルでありますし、ほとんどのALTの先生方は学習者の英作文にきちんと向き合ってくれています。ALT任せにしましょうと言っているのではなく、ALTとの分担作業がスムーズにできるためにも、研修を行ってそういったスキルを身につけてもらえるとありがたいですね。