Twitterで流れてきて何となく手にとったけれども、結果として読書会っていいなあと思わされたよい本だった。
著者は「猫町倶楽部」という日本最大規模の読書会を主催されている方。地方に住んでいると、こういった会に参加できる機会が限られてしまうのだが、大規模読書会がどのような体制で運営されているのかには興味があった。本書によると、筆者が開催している読書会では、事前に指定された課題図書を読んでくることになっている。そして、読書会では、読んできた本について自分の考えを話して共有する。この際に、他者の考えや意見を否定しないことが唯一のルールとなっている。課題本は主催者である山本氏によって選定されている。選書の基準は、古典や名著から選書するようにしていること、一人で読むには中々ハードルが高そうな本であることが挙げられている。このような読書会を通して、多面的なものの見方を養い、曖昧さを抱え続けること耐性を身につけること、自分の考えを客観視できること、アウトプットの機会をもつことで、インプットの理解が深まることなどが効用として挙げられた。
この読書会が面白いと感じさせるのは、読書会の中の「遊び」の部分である。実際、本書の第4章は「読書は遊べる」というタイトルになっている。この読書会では、(本のイメージに合わせて、ということだと思うが)ドレスコードを設定し、ベストドレッサー賞を決めたり、読書会にゲストを招いたり、その後にダンスを行ったりと、実際に本を読むこと以外の「楽しみ」の要素を取り入れている。研究関連の勉強会では、このような「遊び」がある会というのはほとんど見られない(自分も「遊び」があるタイプの人間ではない)が、よく考えてみれば、中身が濃いディスカッション等ができても、生真面目さだけでは息が詰まってしまう。ましてや、中身があろうがなかろうが、無駄な「権威」を振りかざすような会では、学びもほとんどないだろうし、何のために会を開催しているのか分からなくなる。フラットな関係で適度な遊びがあることで、楽しんで会を主催したり参加したりできるというのは、自明のことのようで中々実践は難しいものである。
実際、「猫町倶楽部」の主催者もこの点を強く意識しているのは第5章「読書会は居場所になる」を読むとよく分かる。筆者は読書会を一つのコミュニティとして運営する際に、自分がやりたくないことはやらないこと、読書会のメンバーにヒエラルキーを作らないこと、参加者を囲い込まないこと、考えの違う人を排除しないことなどを意識しているとのことである。また、読書会の主催は尊敬される必要がなく、初めて参加する人も常連の人も同じように居心地のよい場所を提供することを意識しているとのことである。
アカデミックな研究だと、論文を一緒に読んだりすることがある。ジャーナルクラブと呼ばれることもあるようである。
思えば、学生の頃のゼミでは、こういった読書会が行えていたんじゃないか。ゼミでは、少人数だったこともあり、学生と教員という関係を感じさせず、フラットな立場で議論に付き合っていただいていた。今となってはとても充実した時間だったと感じる。今だったら実践者による研究(practitioner reserach)やタスクに関する読書会、ジャーナルクラブをやってみたいと思う。自分が文献を定期的に読む機会が増えそうだし、人と研究についてディスカッションができる場面も増えそう。しかしながら、当面は、いろいろな仕事をこなしつつ、ブログやEvernoteなどのメモソフトにまとめて、「一人読書会」となりそうである。